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2018.12.31 Monday

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2018.08.16 Thursday

大吉、魂が抜ける。

子供の頃から外耳炎を何度も再発させてきた大吉。
今年も梅雨の頃から良くなってはぶり返し…
毎日、洗浄液を入れて拭いていたけど、駄目ダァ〜〜よくならない。


夕方、散歩してから車に乗って病院行ってきました。

耳を掃除しようとしただけで大騒ぎ。
先生も諦めて、「腫れてるね」…
今回は点耳薬なしで消炎剤と抗生剤を投薬です。

薬…1日4種…となりました。

最後に爪を切ってもらって、車に乗ったら


完全に魂が抜けてます^^;

お疲れ様。



自宅に戻って、少ししたら仙台の空は秋の夕暮れ。



ミニタペストリー作ってみました。
欲しい人がいたら連絡下さい!^ ^


ポチも宜しくネ!

2017.10.29 Sunday

やっぱり歳だって。


定禅寺通りが少しづつ色づいて来ました。
1週間前の週末も雨の中仕事で大吉に留守番させてたけど、留守してると水を飲むのが減っちゃってチッコの色が濃いなぁ〜と思っていたら、そのうち頻尿気味…
あらら…と思ってたら、最後の1〜2滴に血液が混ざってしまいました。


病院に行く時間が取れなくて、ステロイドを少量服用させること3日。
とりあえず落ち着いたけど、来月からも催事が続くので病院に行って相談してきました。

尿検査したら、やっぱり膀胱炎だねーの結論。
膀胱の壁も厚くなってるし、体質的に膀胱炎になりやすいのよね…
先生が一年前もカルテによると膀胱炎だったって。^^;

先ずは体に負担が少ない抗生剤で10日間。
催事で病院に行けない時、膀胱炎が悪化した時用に消炎剤を7日分。

私が家に居る分には水を飲む様に促せるんだけど、留守だとね〜〜
冬は何かしら体調を崩す大吉。
今から心配だわ〜

2017.09.22 Friday

ここに来てカイカイ発生。

今年の夏の仙台は雨ばっかりで気温も高くなかった〜〜と言うのは何度かブログで書いてましたが、9月になったら急に気温が高くなったりして…^^;

てきめんで大吉の外耳炎の再発とあちこちのカイカイで皮膚がカサカサになって朝起きるとシーツが汚くなっちゃってます^^;
若い時から夏は皮膚トラブルが多かったけど、今年は涼しくて安心してたのになぁ〜

その上、ウンPの回数も増えて柔らかめ。
なんでよぉ〜って感じです。

動物病院の先生とホルモン検査がてら、相談した結果大吉の体調を考えて痒みを抑えるのにステロイドではなく、副作用の少ないアポキル錠で様子を見ることにしました。

調べてみたら、日本で発売されて一年ほどの新薬みたいです。 痒みが治まったら投薬終了。

大吉には合ったみたいで、翌日から痒みがピタリ^^;

痒いのって我慢できないものね…

病院にあったカタログをもらって来たけど、一つ一つ染みるわ〜〜(笑)

2017.03.27 Monday

定期検査、問題なし。

甲状腺ホルモンの薬を投薬している大吉ですが、小さい薬瓶なのにほんの少しづつなので5ヶ月もちます。

薬がなくなりそうだし、10月末に検査したきりだったので血液検査してもらってきました。


最近、右に頭が傾いてきたし、家の中や散歩中もグルグル回り続けるのは、やっぱり年齢のせいでして…

右目のデキモノも、相談の結果そのまま放置することにしました。
麻酔かけて手術するしかないのよね…
そう言えば…と、最近抱っこしたり、ちょっとした事でむせるように咳き込んだり…
…これも年齢相応みたいです。

歳を重ねるって、あちこち弱ってくるのね〜〜

検査結果は前回よりずっと良くなって、ほぼ正常値でした。
肝臓と甲状腺ホルモンの薬はそのまま継続です。
1年前の食事拒否からは考えられないくらい、ガツガツフードを食べてくれるし暫くは安心かな。

血は抜かれるし、爪は切られるしで、夕飯を食べたらさっさと寝ちゃいました。
1時間の外出でも疲れちゃうんだね〜

2017.02.08 Wednesday

福助の事。十。

1月30日。

 

病院からの道すがら、家に着いてから・・・お世話になった友人たち数人にメールで福助の訃報を伝えました。

 

福助をいつも寛いでいたカドラーに眠らせ、しばらくボ〜っとながめていたらパグ友さんがお別れをしにきてくれました。

 

福助が逝ってしまった実感のないまま時間が過ぎていき、

 

その夜はカドラーを枕元に寄せて、寒くないように毛布を掛けて一緒に眠りました。

 

濃縮器の音のしない静かな夜でした。

 

1月31日。

 

目が覚めても福助の事は夢ではありませんでした。

 

酸素室を見ると、福助が「出して出して」と爪でカチャカチャする音が聞こえて胸が締め付けられ、早めに引き取ってもらいたいと連絡を入れたら、午前中に来てくれることに。

 

 

黙々と酸素室を分解して引き上げてくれる業者さんに「本当に助かりました」と言うのが精いっぱいでした。

 

酸素室がなかったら、福助はずっと苦しい呼吸で毎日を過ごさなければいけなかったと思うと、本当に感謝しかありません。

 

東京から友人が駆けつけてくれ、ささやかな通夜で久しぶりに飲んだ・・・・・けど酔えなかった。

 

 

2月1日

 

大吉の時の心の準備として、かねてから決めていた場所で火葬の予約を入れて、お花やメールを送ってくれたパグ友さんたちに12時からの火葬のお知らせをして一緒に空を見上げて見送ってもらえるようにお願いをしました。

 

午前中までに届いていたお花を一籠から一輪づつ抜いて、おやつも袋に詰めて・・・・・

 

大吉とお揃いで縫った最後の洋服を着せ、3月3日の誕生日に着せるはずだった金色のちゃんちゃんこをその上に重ねました。

 

それから、戌年の時に作った福助の名前入りの盛装前掛け。

 

お花と一緒に届いていた福助へのメッセージカードも。

 

途中、福助が0歳のころから毎週のように通っていたドッグランに立ち寄ってみました。

 

平日だったせいもあって、誰もいなかったけれど元気に走り回っていたこと、パグリンピックで楽しかったこと、冬になるとストーブでお芋を焼いて美味しそうにかぶりついていたこと、たくさんの思い出が詰まっています。

 

パグ友さんが誰もいなかったので、いろんな犬種のワンちゃんと犬社会の勉強をしたり、旅行に行ったり・・・

 

里山のきれいな空気を吸って、車を走らせました。

 

火葬場はパグの置物がお出迎え。

 

ご夫婦で営んでいるここはご主人がパグを迎えたかったんですって。

 

福助を煉瓦で作られた台に乗せ、最後のお水をコットンで飲ませ、口元にたくさんのご飯とおやつ

 

周りにはたくさんのお花を飾ってあげました。

 

最後のお別れをして、福助は扉の奥へ行ってしまいました。

 

 

穏やかで2月とは思えない暖かな日。

 

 

1時間ほどして骨になってしまった福助は本当に小さくなっていて、一つ一つ大切に拾いました。

 

 

置き場所がなくて、テーブルや椅子やらで代用したたくさんの花を置いた祭壇でいい香りに包まれて福助は眠っています。

 

ひっそりと・・と思っていたのに毎日のようにお花が届いて、「福助、幸せだね・・・」

 

ほんの少しのスイッチで悲しくなったり、切なくなったり・・・・・

 

「たら、れば」を言い出したらきりがないのかもしれないけれど、後で後悔しないようにできる限りの事はしてきたつもりです。

 

病院から帰ってきた福助の鼻にはふやかしごはんがこびりついていたままでした。

 

拭いてきれいにしてあげようかと思ったけれど、お腹がすいたときにペロンと食べられるようにそのままにしました。

 

30日の夜もほんの2時間ほどだけれど福助と頬をくっ付けて同じ枕で眠れたし、朝もご飯を食べてくれた。

 

お腹がすいたまま、苦しんでいなかったことも救いです。

 

ただ、あの朝、私の手から喜んで食べてくれたご飯を途中でやめることなく最後まで食べさせればよかった。

 

仙台に専門医がいてくれたら、毎日でも通ったのに・・・

 

 

5日の朝方・・・・・

 

福助が夢に出てきました。

 

元気な姿の福助はいつものように大きな目で私を見つめ、びっくりするほどハッキリと

 

「ごめんね」って言って目が覚めました。

 

何度も、言葉が通じたらいいのにねって思っていたけれど、最初で最後の言葉だと思います。

 

謝ることなんて何一つないのに、どうして「ごめんね」だったのか、これからずっと考えることだと思います。

 

 

初七日の6日。

 

福助のお母さんのうみちゃんを合同の納骨堂に収めてきたと、うみパパがやってきました。

 

夜になって、思いがけず最期を看取ってくれた院長先生からお花が届きました・・・・・きっと初七日を覚えていてくれたのでしょう。

 

 

ようやく、福助がいない生活に慣れ、大吉のお世話をし、ご飯をちゃんと食べて、仕事しています。

 

福助につきっきりで、仕事が二の次だったのでガンガン働かなくちゃ。

 

終。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

福助の事でたくさんのご心配・励まし・お花をありがとうございました。

心より御礼を申し上げます。

 

本当にありがとうございました。

 

色々、思うことは少しずつ書いていきたいと思っています。

 

 

 

2017.02.07 Tuesday

福助の事。九。

1月30日

 

12時過ぎ

ようやく吐き気も収まり、眠れたことで復活。

 

福助の様態が気になるので、東京のA病院に動画を送って意見を伺おうと福助を酸素室から出してカドラーに乗せてみると・・・

呼吸は荒いまま、全身で息を吸っています。

お腹がパンパンに膨れ、毛が逆立っている。

どう見ても異常。

 

急いで動画を撮って先生に送信。すぐに電話をして先生に動画を送ったことを伝えました。

病院は休憩から手術などで一般の診察は受け付けていない時間だけど、間もなくメールの返信が。

 

「状態がよくないので、急いでこちらに来る手配をするか、仙台で早く病院に行ってください。」

 

仙台で専門医がいなくて東京まで行ったわけで、仙台で同じ対応ができることはないし・・・

 

まず、考えたのが、チョロQさんへのコンタクト。事情を話して東京に行ったら病院まで運転してくれるかどうか。

 

すぐに快諾の返事をもらって、決まり次第連絡をすることに。

 

急いで、仙台を出たら4時過ぎには病院へ着けます。

診察をしてもらって、福助をそのまま病院へ入院させ私だけ仙台に戻ってこれば大吉を預けなくて済む。

 

大吉の夕ご飯を用意しておいて仙台の友人に食べさせてもらおう。とスペアキーを用意しました。

 

次は、前回活躍したソフトケージをキャリーを用意しなきゃ。と、納戸から出してきて折りたたんでいたケージを組み立てようとしたら、ほんの数回しか使っていなかったのに、ジョイント部分が壊れていました・・・・・。

 

がっかりする暇もないのでハードケージを取り出して準備。

 

こんな時、お財布さえあれば出かけるときは何とかなる。と思っているので身軽に福助を連れていければ・・・と

 

福助の様子を見ると、新幹線での移動にはとても耐えられそうにないと判断。

 

先生に「仙台の病院に行くとしてどんな治療ができるのか」メールしました。

 

返信は「従来の治療法の披裂軟骨側方化術か気管切開です」

 

もう気管切開してもらえる病院へ行くしかない。とA病院を紹介してくれた仙台のかかりつけ病院へ電話したところ、院長先生は手術中で15分で終わるので折り返し電話をもらうことに。

 

先生に事の流れを説明し気管切開を依頼して、時間外は重々承知で緊急の手術をお願いしました。

 

永久気管切開でも、福助が楽になるのなら・・・・・時計を見ると15:15。

 

20分で行くのでとにかくお願いします。

電話を切って、家を出たのが15:20

 

こんな時は信号で止まるのももどかしい。とにかく急いで急いで病院へ向かいました。

いつもは運転する私の膝でおとなしく車に揺られる福助だけれど、

全身で呼吸する福助を毛布を敷いたハードキャリーに押し込み後部座席に。

 

病院まで半分ほど来た頃、ガタンと後ろで音が・・・

 

小さな隙間からみえる福助が動かない。

 

不安で押しつぶさせそうな気持ちを押し殺して、病院の前に横付けしエンジンをそのままに福助の入ったキャリーを緊急でお願いしていた小川です。院長先生に連絡しています。と伝えるとスタッフさんがすぐに奥に運んでくれました。

 

急いで車を駐車場に置いて受付をすると、すぐにこちらへ・・・と案内された奥の診療室では心電図をとられ、心臓マッサージを受けている福助が横たわっていました。

 

休みなくマッサージを続ける若い先生。心電図を見守るスタッフさん。院長先生がすぐ傍でもう心肺停止だったよ・・・

5分で来られたなら・・・

 

「先生、この状態になって戻ってくることはあるんですか?」

 

返事は「ないね・・・」でした。

 

声を振り絞って「もういいです。お腹のガスを抜いて楽にしてあげてください」そう言うのが精いっぱいでした。

 

「処置をしてあげるから、待っていて・・・」と夕方診療時間前の空室の診療室一部屋を用意してくれました。

 

私の気持ちが落ち着いて、会計を済ませ車を病院の前に止め福助を迎えに行くと、バスタオルに包まれた福助はまだ温かかった。

 

時計を見るとほんの1時間前までは確かに生きていてくれたのに。

 

それから自宅までは一度に帰ることが出来ずに、あんなに急いで病院へ向かったのに1時間もかかってしまった。

 

「福助、おうちに着いたよ」

 

続く。

 

 

 

2017.02.06 Monday

福助の事。八。

1月28日。

 

夜中の2時。酸素室に入れても出せ出せアピールがすごいので一緒に寝るけど4時には苦しそうになるので慌てて酸素室。

 

もう、酸素室は電源オン状態。隣の部屋の濃縮器は音はうるさいけれどさすがに慣れた(苦笑)

 

昼間は呼吸が順調で夕方になったら、確実に呼吸音が静かになってきたのがわかる。

 

手術を受けて11日・・・やっぱり時間がかかるんだなぁ〜〜

 

ただ、気になるのが福助の長い舌(これは二人の先生がほんとに長いね〜と言っていた)を詰まらせるのか、ゲ〜っと舌を出すことが何度か。

 

 

29日

 

午前中もいい感じで、よくなっている手ごたえが。

 

嬉しくて、福助の事でコンタクトを取っていたパグ友さんたちに「やっと呼吸音が静かになってきて、よくなってきたみたい」と連絡。

 

今まで、ブログで記録を書くことしかできないくらいいっぱいいっぱいだったので、本当にホッとしました。

 

ホッとしたのもつかの間。

 

午後になったら、また、舌を詰まらせるように・・・

 

今までになかった、呼吸を吐き出す時に「ん‘‘〜っ」という感じの音を出し始める。

 

口呼吸になって息が荒くなったので、また酸素室。

 

変な咳もする。

 

せっかくよくなったと思っていたのに、とても不安になる。

 

30日。

 

一晩中、酸素室。

 

外に出しても口呼吸が苦しそうなので、すぐ中へ。

 

ずっと、自分で食べて完食していたのに食べようとしない。

 

薬を飲ませたいので、一粒ずつ食べさせると、私の手からなら食べるよ!とバクバク食べてくれる。

 

ただ・・・・連日の睡眠不足で私の調子が悪く、お湯を飲んでも戻してしまいフードの5分の1ほどを食べさせたところで、

「あと自分で食べて・・・」と手を休めてしまった・・・・

 

福助は寂しそうだったけれど、諦めて自分で食べ始めた。

 

残しはしたけれど、自力で食べてくれるのはありがたい。

 

福助には可哀想だったけれど「3時間だけ横にならせてね・・・」と酸素室とぴったりくっ付けている布団で眠った。

 

続く。

2017.02.06 Monday

福助の事。七。

その後、福助は酸素室を出たり入ったり。

 

調子の良いときは仕事をする私の足元で眠っていたり・・・

 

同じ病院ではなかったけれど、喉の手術を受けたことがあるパグ友さんにその頃の症状を聞いて

 

喉の腫れがひいて楽そうになるまで2週間はかかったこと、その後も時間をかけてゆっくりと完治したこと・・・

 

ちょっとづつでも呼吸が楽になってよくなることを信じて長い1日を過ごしていました。

 

それでも、ガーガーと辛そうな呼吸になったり、酸素室で倒れることがありA病院の先生にコンタクトをとったら、

 

喉頭を軟骨と結んだ糸はアレルギーをおこしたり、切れることはないけれど軟骨がもろかったかも・・・

 

再来院してください。のような返事。

 

大吉の事もあったので、すぐに動けなかったけれど翌日、少し落ち着いた様子を動画で送って返事を待ちました。

 

呼吸の様子を見て、「少し良くなったようですね。遠方ということもあるし、少し様子を見ましょう。呼吸が止まることがあるのは

 

無呼吸症候群化もしれません。これは治療法がありません」・・・・・・。

 

犬の無呼吸症候群で考えられる治療をしても改善されないというのは、もう仕方ないことなのかも・・・・と。

 

それならそれで、私が福助の呼吸をたえず気にかけて、万が一留守の時に倒れることがあったらその時は諦めよう。そう腹をくくりました。

 

21日

 

22日

 

23日

 

酸素室を出たり入ったり・・・は変わらないけれど、夜数時間一緒の布団で眠れたり、酸素室の小窓から手を差し入れて頭を撫でて安心させたり・・・

 

いつも、福助は私の事をずっと見つめていてくれます。

 

どんな時も、呼吸音に耳を澄ませていました。

 

病院からの薬がなくなったところで相談したところ、手持ちのステロイドの投薬で腫れを抑えられるのでしばらく飲ませることに。

 

24日

 

25日

 

26日

 

酸素室に入らなくても、大丈夫かな?と一緒に寝ても夜中に苦しそうになったりするので、慌てて準備をすることも。

 

スイッチを入れても室内の酸素濃度が30%になるまでの20分が長い。

 

一緒に寝たい福助を無理やり酸素室に押し込むのはかわいそうだったけれど、途端に呼吸が楽になるのってホントに酸素室の効果には何度も驚かされる。

 

ダースベイダーが我が家にいるような福助の呼吸音はけっして耳触りのいいものではないので、時には外に出かけたいと思うけれど、じっとじっと我慢して喉の腫れが収まることを待つことにした。

 

買い物いけない私を心配して、段ボール一杯に食料を送ってくれた友人がほんとにありがたかった。

 

27日

 

ほんの少し、ダースベイダーの呼吸音が静かになった気がする。

 

 

続く。

2017.01.29 Sunday

福助の事。六。

1月19日

仙台に戻って二日目

 

朝は散歩もできてご飯も完食。薬も飲んで楽観。

 

催事の仕事を断って、しばらく家での仕事が出来るようにしていたので「おが和んずSHOP」の9周年に向けて追い込んで作らないと。

 

午前中に大吉を預けていたペットホテルのオーナーさんが忘れ物を届けに来てくれて、大吉の様子を聞いてみると

一晩中、眠れずにいたそうです。

オプションでオーナーさんと同じ部屋で寝てもらうことにして、何度も撫でてくれていたみたいなのですが、おしっこのタイミングや水を飲みたいタイミング、ご飯を食べる時間も違うわけだし、何より自分がどこにいるかも認識できなければ、ずいぶん不安だったんだろう・・・と想像できます。

 

我が家に帰ってきてからのご機嫌斜めもうなずけます。

 

 

ホットカーペットで暖かい足元で眠る福助ですが、眠りが深くなってくると又しても呼吸が止まります。

 

喉の手術をしているので呼吸音が大きくなっているから余計に耳に入って気になります。

 

何度か息を吸っては止まって・・・・慌てて起こす。 

 

 

心配になって、A病院に電話しました。

 

説明だけではうまく伝えられないので、動画を送ることにしたのですが何度送っても失敗。

友人に仕事帰りに来てもらって送ったのですが結局、届いていませんでした。

 

起きているときは問題ないので夕方も散歩して夕飯も完食。

 

酸素室は手放せないまま、嫌がる福助を入れて寝ることにしたのですがいつまでたっても寝てくれません。

 

ずっと、お座りのお状態で横になろうとしません。

 

酸素室から出しても、部屋をうろうろして隅のほうで固まっています。

だんだん呼吸が苦しそうになっているのに、眠りたくても横になれない様子が伝わってきました。

 

1月20日。

 

夜中の12時を過ぎ。

 

ストーブをつけて上にやかんと寸胴にたっぷりの水を入れ、ダウンを着込んで、布団の周りに毛布を敷き詰め福助がどこにいても暖められるように準備。

 

酸素室に入れられて、手を出せないより出して傍にいてあげることを選びました。

 

幸い、酸素室に酸素マスクが付いていたことを思い出して、ホースを交換。

 

 

ホースが長かったので福助のいるところで寄り添ってマスクを当てて呼吸をさせてみました。

 

何度か移動しながら布団の上に福助を連れてきて、羽毛布団や毛布で周りを囲んでマスクを当てていたら少しずつ慣れてきたようです。

2時

3時

4時・・・・・私も傍らで横になりながら、福助にずっとマスクを当てます。

 

つらそうな福助を見ていると「見放されたのかも・・・・」とこのまま逝ってしまうのかも・・・・と心をよぎりました。

 

5時  ようやく、睡魔に勝てず、うとうとと横になってくれました。私も瞬間眠るみたいで、気が付くとマスクが外れている・・・そのたび福助の顔を持ち上げてマスクをあてがって・・・

6時

7時  大吉が起きたけど、ボーっとしながら朝ご飯の準備。

 

福助に薬を飲ませなくちゃ。

 

8時  福助が自分からご飯を食べようとしないのでフードに薬を忍ばせながら一粒ずつ。・・・こんなこと今までなかったのに・・・

 

私も一晩中の介護で疲労はピーク。

 

布団は敷きっぱなし(笑)…結局、このまま3日間布団をしまうことなく寝込んじゃいました。

 

昼になっても、福助は辛そうで酸素室のまま。

 

やっぱり横にならない・・・・

 

午後になってとうとう、失神してしまった。

 

その後もガーガーアヒルのような呼吸音。

 

それでも、夕飯は自分でちゃんと食べてくれると、ホッとします。

 

酸素室でハーハーと息をしているときはマメに水を飲ませながら、一晩中酸素室で過ごしてくれるだけで助かった。

 

続く。

 

 

 

 

 

 

 

2017.01.28 Saturday

福助の事。伍。

1月18日

無事退院して仙台に戻り、30分ほどで冷え切っていた部屋がようやく温まってきて大吉を迎えに行こうと思ったところ・・・

 

福助の呼吸が少し荒くなってきました。

 

喉を手術して2日目だし、呼吸音はするのが当たり前なんだろうけど・・・どうしても福助を置いて大吉を迎えに行くのが心配。

 

犬に慣れていて、我が家を知っていて、急なお願いを聞いてくれそうな人・・・・迷惑になることは承知でパグ友のHさんに電話を入れてみた。

「悪いけど、うちまで来てくれない?」

まだ、仕事先から家に戻る前でいったん家に帰ってから来てくれることになりました。

 

30〜40分ほどしてHさんが到着。

 

事情を話して大吉を迎えに行ってもらえるようにお願いし、大吉を運ぶためのカ−ボックスをうちの車から取り出して送り出し、ペットホテルに代わりの人が迎えに行くことを電話しました。

 

30分後、「大ちゃんのお帰り〜」と大荷物とともに大吉が帰ってきました。

 

お礼もそこそこに帰って行ったHさん。

本当に感謝です。

 

今回、どんだけ人のお世話になっていることやら・・・・・・

 

上京の荷物・大吉の荷物・・どれも手つかず。

 

クタクタですぐに寝たいくらいだけど、福助も心配。

 

とりあえず、フードをふやかしてごはんに薬を混ぜて食べさせてみると、ゆっくりだけどほぼ完食。

 

病院では酸素室はもう不要ですよ。と言われたけれど心配で酸素室の準備をするものの、手術後病院で寂しかったのがトラウマになったらしく出せ出せと出たがるので、先生の言葉を信じて一緒に寝ることにしました。

 

いつも大吉か私がいるのが当たり前だものね・・・

 

大吉も落ち着かなかったけれど、自分の家だと認識したらようやくぐっすり。

 

福助も大きないびきをかいていたけれど深く深く眠って、私も大吉と福助の寝息を聞きながらしばらくぶりに一緒に眠ることができました。

 

福助のおおきないびきとうつ伏せの顔をみて、大きな仕事を終わらせた気分になりました。

 

続く。

 

 

 

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